サイト立ち上げました。


中国系のイラストと、昔描いた二次創作絵をまとめて展示してます。
ブログでは小さな絵はアップしていきますが、説明とかはサイトでしていこうと思います。

↓↓↓↓↓ 絵をクリックで飛びます。

 
唐公主
史環〜Shihuan〜



まともにオンラインに戻ってきたのは、約三年ぶりです。

二次創作のサイトを閉じたあとPCがクラッシュしてしまったので
そのままブックマークなども飛んでしまい・・・

仕事や調べ物で使う以外は完全にオンラインから遠ざかっていました。

中国メインで色々書こ〜と思って持ってたブログはあったけど、あれも昔の絵を持ってって、お友達の家とかネットカフェとかでPC借りてちまこま更新してただけだったので・・・(だから2年かけて5件くらいしか記事なかったという)

まともなオンラインは本当に久しぶりなのです。


でも、昔好きだったジャンルや作家さんが変わらずにそこにいらっしゃるとちょっと安心しますね〜

昔仲良くさせていただいていた方にお声かけしたいなぁとか思いつつもジャンル違いだし・・・と勇気が出ず、そっと遠くから見ている私です。。

オリジナルで中国で超マイナーで見てくださる方も多くはないかもしれないけど、久しぶりにネットでお絵かきができるので、のんびり楽しみつついこうと思います。



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北魏の馮姉妹

北魏で馮皇后といえば、思い浮かぶのは5代文成帝の馮皇后です。
彼女は後の献文帝、そしてその後の孝文帝時代も太后として君臨し実権を握りましたが、実政策として均田制や租調制を定めた、実力ある女政治家として有名です。

そして彼女は、いわゆる「お家発展」のため、姪である姉妹を7代孝文帝の皇后として推薦し、擁立します。
すなわち、馮潤馮清という二人の女性です。

二人はそれぞれ「幽皇后」「廃皇后」と諡(おくりな)されていますが、これは最終的に「幽閉された皇后」「廃された(皇后位を剥奪された)皇后」という意味を指しています。


馮潤と馮清
二人の馮皇后



姉の馮潤は温厚な妹とは違い、後宮を騒がせるスキャンダラスな女性でした。

病を得て出家している間に妹である馮清が皇后位に立てられたのを知り、後宮に戻ってからは妹を讒言で陥れ、ついには失脚させ自分が皇后位に収まります。

そして孝文帝が南征で留守の間、高菩薩を引き入れて密通し、公然と淫行に耽ると同時に、弟の馮夙と孝文帝の妹である彭城公主との婚姻を強引に押し進めます。

しかし反発した彭城公主が逃げ、孝文帝に子細を報告されることで馮潤の醜態が露見してしまい、罪を得て幽閉されます。

そして最後は服毒死を命じられますが応じなかったため、無理矢理押さえ込まれ、毒を飲まされるという悲壮な最期を遂げています。


馮潤
馮潤



イラストは、妹を失脚させた事実を、後宮における死のイメージと掛け合わせて描きましたが、実際のところ、妹の馮清は孝文帝と姉の死後も生き、貞操を守って尼となっています。
対照的に描かれている北魏の皇后姉妹です。



【ここからはほぼ100%私見です】

中国の歴史上、女性の−特に権力を持った女性−の残忍な所行は、前漢呂后の「人豚(ジンテイ)」など、エピソードとしては数多く残っているるため、悪女というにはややインパクトが弱い馮潤。

また、僧侶との密通などはより有名さでいえば則天武后を連想させますし、姉妹で寵を争って…というのは、前漢の趙姉妹など、数あるパターンといえます。
幽閉された皇后、といえば漢の閻皇后だったり唐の王皇后だったりを思い出しますし、毒をあおらされた・・・というのも、何となく連想させる誰かがいたような気がします(適当ですいません)

帝に詰問される際、その使いに向かって罵倒した言いぐさや、帝の詰問に対してもトコトン知らぬ存ぜぬを決め込むしたたかさ、容赦なく妹をけ落として皇后に収まったあたり、強い中国女性を思わせます。

こうしてみると、一つ一つのエピソードのどれを取っても特に目新しいものはなく、「よくいるパターンのちょいワル皇后」といった印象の彼女なのですが、しかしその割にあっさり足下をすくわれてしまっている印象があります。


妹の馮清は篤実な性格で、孝文帝との関係も比較的よかったといわれていますが、姉馮潤の讒言によって、割とあっさりと皇后位を剥奪されているようです。

(孝文帝は北魏皇室の姓である「拓跋」を「元」姓に改めたように、漢化政策を熱心に推し進めたことでも有名な皇帝ですが、一部では、馮清が孝文帝の漢化政策に反発的だったからとも言われているようです)


対して馮潤は、病を得て出家しましたが、後宮に戻った後も皇后でこそないにしろ孝文帝の寵愛はあつかったといいます。
また、彭城公主に醜聞を聞かされながらも、皇帝は馮潤の乱行を簡単には信じられませんでした。
南征から戻り、馮潤にことの真偽を問いただそうとしています。

幽閉され、死を賜っても、あくまで「皇后」として葬られた馮潤。

名君としても名高い皇帝といわれている、孝文帝。
きっと、激情することなく、努めて冷静に彼女に向き合おうとしたのではないでしょうか。

孝文帝の愛し方は、決して熱烈でも盲目的でもなかったかもしれませんが、そこに確かにあった皇帝の愛情に気づかないまま我儘放蕩で身を滅ぼした愚かな馮潤。

その愚かさ、そして悲しさが 一種の人間らしさを感じさせる女性です。



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敬哀皇后と張皇后

レッドクリフで三国志が最近また活気づいていますね。
レッドクリフはすごく良くできたドラマでした。
エンターテイメントだと割り切って見れば面白いです。

でも配役はやっぱりこのドラマを越えていかなかったな。当然といえば当然なんですが。

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私の中の彼らは、この配役さんがまさにイメージ通りなのであります。





ところで
『三国志』には美女が沢山登場します。


まずは貂蝉
架空の人物ですが、それでも中国四大美女に数え挙げられるほどであり、三国時代を代表する美女といえるでしょう。

そしてレッドクリフでも登場した、小喬とその姉で孫策の妻、大喬の姉妹。

袁紹の息子である袁煕の妻であり、官渡の戦いで破られた際、曹丕が我がものとした甄皇后(甄氏)

劉備が豫州の刺史だったときに娶った糟糠の妻、甘皇后(甘夫人)

だいたいはこのあたりが有名で、あと女性といえば、『三国志演義』で井戸に身を投げたという賢妻、糜夫人や、レッドクリフにも出てきた孫権の妹、孫夫人などが挙げられます。
また、吉川『三国志』では芙蓉姫という美女が登場しますし、ちょっとマイナーなところでは呉懿の妹で劉備の夫人である穆皇后なんていう女性もいます。


そんな中、劉備の息子、後主劉禪の皇后として、張飛の娘二人がいるのをご存じでしょうか。
張飛の長女が劉禪の敬哀皇后として、そして姉の死後、妹に当たる女性が張皇后として更に劉禪に嫁いでいます。

顔の美醜や容貌については全く記述がありませんが、一般的に言われる張飛の容貌からイメージするに、きっと眉が凛々しく目の大きな女性だったのではないかと勝手に思っています。

姉妹で皇后に迎えられたことから美女とする説があるようですが、姉妹で後宮に入る・・・なんていうのは昔からの慣例でしたので、私の中では殊更に美女化することはなく、ただ張飛ゆずりの凛々しさを持つ姉と妹 そんなイメージを持って描いた、二人の皇后です。


敬哀皇后と張皇后
敬哀皇后と張皇后




敬哀皇后
敬哀(張)皇后(けいあいちょうこうごう)
車騎将軍であった張飛の長女で、章武元年(221年)、劉備の即位に伴って太子劉禪の妃となり、建興元年(223年)、劉禪の即位と共に皇后となった。15年の後に死去し、南陵に葬られた。

張皇后
張皇后(ちょうこうごう)
姉の死後、皇后として立てられた。263年の蜀滅亡後は劉禪に付き従って洛陽に随行した。


少ない記述の中で、ぼんやりとそのイメージを考えるとき
後主劉禪の退廃を止めることができなかったであろう両皇后、
おそらく父とは違い、女性として皇后として皇帝の妻に徹した生涯だったのだろうと想像します。

張皇后について、『三国志』蜀書に亡くなる際の記述については特にありませんが、注釈にはこんな記載があります。
“洛陽に連れて行かれた後、魏は諸将の中で妻帯していない者に、蜀の女性を下賜しようとしたところ、劉禪の夫人の一人であった李昭儀は、その屈辱に耐えきれず、自殺した”と。

果たして魏が張皇后を同様に扱ったかについては分かりませんが、このたった一文の注釈によって、李昭儀との対比がコントラストを色濃くしているように感じます。

張皇后はその状況に置かれたとして、果たして同様にしただろうか、と。

劉備の子。暗愚といわれる劉禪。
彼女たちが同様に暗愚ということではないけれど、たった一代前の父の世代の激しい血が、長い戦乱の中で絶えてしまったのではないか。

そんな印象を持つ、皇后たちなのです。



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劉邦と虞美人


いつのまにか丸一年のブランク・・・


ちょっと時間ができたので、最近また絵をちょこちょこ描いてます。

古い絵だけど、せっかくなのでちょっとアップ。


項羽と虞姫

垓下の死



項羽(りゅうほう):前232〜前202。

戦国期の楚の将軍家に生まれ、陳勝・呉広の乱(前209〜)に呼応して決起し、西楚の覇王として劉邦らと共に秦(前221〜前206)を滅ぼした。のち劉邦と天下の覇権を争うが、垓下にて大敗を帰し烏江で殺された。垓下での『四面楚歌』の故事と、『垓下歌』は有名。


虞姫

虞美人・虞姫(ぐびじん・ぐき):生年不明

虞美人(ひなげし)の名で知られる先秦期を代表する美女と唄われる女性。項羽に寵愛され戦場にも付き従うが、垓下での敗戦の折、自ら自尽したとされる。
(ただし『史記』には虞姫の生死に関する記述は見られず、垓下での自尽は後世の創作だと考えられているとか)



最近引っ越した家の近くでひなげし草をよく見ます。ポピュラーな草なんですね。
茎が細く長く、一つの茎に一輪の花。

虞姫のイメージは、ひなげしのように華奢でひかえめな女性。
ただただ儚くもろく時代に翻弄された女性だったからこそ、美談になっているんだろうと思います。





ところで、この二人について思うとき、ほとんどの人が思い浮かべるのが「四面楚歌」と並んで項羽がうたったとされる「垓下歌」だと思います。
「垓下歌」は、振り絞るような力強さがなお悲壮感を強調していて、特に最後の一行などは嗚咽が聞こえてくるようで素晴らしいと思うんですが、・・・余談として、あれには虞姫が返したとされる返歌があるといわれているのをご存じでしょうか。


すなわち、項羽の「垓下歌」、

垓下歌

に対し、虞姫はこう返歌したたとされています。

垓下歌:返歌


漢詩についてはものすごく奥が深いと思うので内容については省略しますが、これは、『史記』の項羽本紀の註に記載されているものです。
が、どうやら詩の形式を考察していくと、当時の虞姫が返歌したものとは考えにくく後世になって付け加えられた歌でありエピソードである可能性が強い といわれているようです。



今私たちが認識している歴史の感動的なエピソード多く後世に脚色されたものが少なくないし、これもその一つなんでしょう。
特に中国は歴史に対する意識が古くから高く、それを小説化・戯曲化する上でこういったアドオンは物語を楽しむ重要なエッセンスとなったでしょうし、またそれによって一般的に“歴史を愉しむ”姿勢が日常化していったんだろうな、と。

孔子や老子、もしくは同時代以降に模範とされた聖王の記録だって、当然のように脚色されている。そういったものを規範としていた古き国自体が当然の虚構を礎として成り立っていた側面があることは否めません。

中国の歴史といえばほとんどの人がやっぱり三国志だと思うけれど(私はそうでした)、三国志といっても“三国志演義”だからこそあそこまでみんなが楽しめるものになったんだと思うし、それがきっかけで歴史大好きになった人も多いだろうし、もしかしたらそんな感じで研究者になった人が世紀の大論説を打ち立てて有名になってるかもしれない。いや、実際なっていらっしゃる。

もし最初に正史の三国志を読んでいたら、ここまで歴史をおもしろいと感じることはなかっただろうし、そう考えたらこういうアドオンがあったからこその今かもしれない。

ただ、映画や小説を見れば見るほど、史実と虚構の境界線だけは知っておければそれに越したことはないのだろうと思う。できればその境界を知った上でこういう趣味的な楽しみ方ができたらなぁと思うわけです。

オススメ語学本

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(2007/09/01)
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中国語を初めて勉強したのは約8年前。
ややマジメに勉強するようになったのは本当にここ最近です。

独学で勉強していると、必ず壁にぶつかりますよね。
例えば、同じ意味なのに例文によって違う単語が使われていたり、
訳すとおおまかな意味はあっているけどニュアンスが微妙に違う、など。。

そんな、『中国語はちょっとかじった程度だけど、こんな疑問がある〜』
という人にオススメの一冊です。

本屋で捲って「これだ!」と思って買ってみたのですが、
面白いくらいに自分が持っていた疑問の壁が切り崩されていく感じで、
読んでいると、まさに痛快!といった印象を持ちます。

今の自分にはまさにぴったりのレベルなのかな。

また、コラムちっくに、ネイティブの感覚をさらりと紹介してくれるのもイイ!


是非、初中級で壁にぶつかってる方にご紹介した一冊です。

中国のカメは

タバコを吸うらしい。


さすが中国!

だけど煙草依存症のカメって…
なんかかわいいな〜!


中国鉄道大紀行

お久しぶりです。
プライベートで手一杯で、絵も中国もHP作成も頓挫していました。

リンク一件追加しました。
『関口知宏の中国鉄道大紀行』

放映はもう終わってしまいましたが
かなり最後の方で知って、かなり後悔しました。
最初から見たかったなぁ。

俳優の関口知宏さんが、鉄道で中国各地を一年かけて旅し、
その土地土地の人たちと交流したり、各地の文化を紹介して
くれます。

でも全然、作ったり飾ったりしている感じではなく、そこに普通に
ありふれている、いつもどおりに生活している人たちの中に入って、
その一部を共有させてもらっている感じで、見るたび気持ちが
あたたかくなったりきゅんとしたりする番組でした。

そしてまた、関口さんがまたいい味出していてかわいいんだ〜

1月26日の12:00〜18:00、20:00〜22:00で再放送するらしいので
見逃したものも見れると思うととても楽しみです。

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