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史 環 ブ ロ グ 史跡巡り

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2016.05.24 (Tue)

飛鳥来訪

このGW、毎年5月恒例の?飛鳥に行ってきました^^

といっても去年は行けませんでしたが・・・


今年は家の事情でサイクリングはできず、
石舞台公園でま~ったりと過ごして、上つ道から帰ってきました。



毎回ランチはこちらの夢市茶屋の赤米のセットメニュー。
赤米のプチプチともちもち食感がたまりません♪



夢市茶屋から石舞台公園の景色



連れてったうちのちびちび。
たくさん遊んで満足げ。



高台からの石舞台。
まりせさんのお墓のだという説が有力だとか。


公園でレジャーシート敷いてゆっくりした午後を満喫したあとは
日の高いうちに帰還☆

纒向遺跡そばの上つ道を車で上がりました~


momoso.jpg
箸墓古墳!倭迹迹日百襲媛~


miwa.jpg

oomiwa.jpg
三輪山と大神神社


keikou.jpg
景行天皇陵と


sujin.jpg
崇神天皇陵


車だったので一瞬でしたが、ドライブ&レジャーな飛鳥も
なかなかに堪能できました^^

手白香皇女陵は車道から距離があったので行けず残念・・・


その無念のあまり、継体天皇と共に思わず描きなぐった絵があるので
次回更新します^^


毎回飛鳥にばかり来ているので、葛城山や二上山にも足を伸ばしてみたいと
思っているのですが、秋か来年には行けるかな~


以上、簡単ではありますが、2016年春の飛鳥探訪記でした☆



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2014.05.05 (Mon)

飛鳥の里


先日 飛鳥の里に行ってきました。

飛鳥はとにかく好きな土地のひとつで、
昨年の秋にも行ってるので半年ぶりなのですが
やっぱり一年に一、二回は行きたくなる場所です。


今回は飛鳥まで車で行き、自転車で

キトラ古墳→高松塚古墳→亀石→橘寺→石舞台→板葺宮跡→甘樫丘→
雷丘→小墾田宮跡→鬼の雪隠・鬼の俎


駅前で自転車を返してカフェに行く傍ら岩屋山古墳を見、

駅前に戻り車に戻って、大和三山、というコースでした。


その時その時で違う史跡なんかも入れたりするんですが、
駅前のレンタサイクルは五時までに返却だから一日で全部は回れないんだよな~



今回は写真に結構人物を入れちゃったので、昨年秋に行ったときに
撮影したものも含めて記録として写真アップしてみます。




■亀石~

IMAG0343_.jpg


■飛鳥の広い空と、ゆったりとした里山の風景

IMAG0332_.jpg  DSC_1061_.jpg

IMAG0340_.jpg  DSC_1059_.jpg

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飛鳥は、田舎といえば田舎なんだけども、どこもとてもきれいで
荒れたところが殆どない、きちんと整備された美しい里山って感じです。


■石舞台。秋に撮影したもの

DSC_0562_.jpg


■石舞台を上から見た景色。これも秋のものかな

DSC_0564_.jpg


■飛鳥板葺宮跡

DSC_1064_.jpg
板葺宮跡にある石。

采女の
袖吹きかえす 明日香風
京都(みやこ)を遠見(とおみ)
いたずらに吹く


持統天皇が藤原宮に遷都した後に、志貴皇子が作った歌です。

美しき采女たちの、色とりどりの袖が翻っていた飛鳥の都は
今や遠くなってしまった
その飛鳥に今や昔のような美しい乙女たちの姿はなく
ただいたずらに風が吹いていることよ


…といったところでしょうか。

華やいでいた飛鳥の都を思い、歌われたものですが
かつての飛鳥の地の繁栄が見えるようです。

私は志貴皇子のこの歌は大人になって知りました。
志貴皇子の歌といえば、昔教科書で習った

石ばしる 垂水の上のさ蕨の
萌え出づる春に なりにけるかも


という歌が印象深いです。


ところで、ここで歌われている「京都(みやこ)」とは、藤原京に遷都した
持統天皇の一代前、夫である天武天皇が政務を執った飛鳥浄御原宮のこと。
そしてこの飛鳥浄御原宮は、ほぼ飛鳥板葺宮の場所にあったとされています。

藤原宮跡は飛鳥のちょっと北、大和三山に抱かれた土地で、
この飛鳥の都とのその距離、直線距離でわずか3.5キロ

自転車でラクラク~♪、ましてや馬を使えば目の鼻の先ってな距離です。

「遠見」とするには大袈裟ですが、そこは修辞ととらえてそっとしておきましょう(笑)
「遠い都を偲ぶ」体のほうがよりいっそう心にうったえるものがあるしね。

ちなみに、柿本人麻呂が天智天皇の近江宮を偲んで作ったとされる
「玉襷 畝傍の山の 橿原の…」という長歌がありまして、
奈良から滋賀の距離を思えばこれぞまさに「遠い都を偲ぶ」歌。

二人とも同時代の人で、どちらが先に作られた歌なのかわかりませんが
都の順序としては近江→浄御原→藤原宮なので
なんとなくこの体裁を踏んで作ったのかな~と素人ながらに思ったり…

いずれにせよ、遷都が頻繁だったこの時代、
廃都を偲び詠まれた歌は他にもたくさんあったんでしょうね。

ちなみにこの柿本人麻呂の長歌、結構な長さなんですが
母が好きな歌だったので、口うつしで私も小さいころから口ずさんでいて
大人になって覚えたものと違って慣れ親しんだ物語のように
未だに諳んじれる、思い入れある一首です^^


そして飛鳥板葺宮跡地。これも全部秋撮影の方☆

DSC_0567_.jpg  DSC_0575_.jpg

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まさに「大化の改新」の舞台となった場所。

ですが、この景色はまさに「古代人(ふるびと)どもが 夢のあと」な風情です。



■甘樫丘から見た大和三山

IMAG0355_.jpg
乾の方角に畝傍山

DSC_1066_.jpg
真北ではないものの、子の方角に耳成山
右にちょっと香具山の山裾が見えてる

DSC_1067_.jpg
そして丑寅…とまでいかない、北北東に天の香具山


甘樫丘は、蘇我の本流であった蝦夷や入鹿の邸宅があった場所といわれていて
ここからの眺めは本当にすばらしく、近く大和三山を眺め
足下には飛鳥の地を一望できます。

甘樫丘に登るとよくわかりますが、飛鳥・橿原(藤原京)の地はほぼ平地で、
その平地におわんを返したように山々が並び、
遠くには生駒山などぐるり山地がのぞめます。

台地から見た景色は、なだらかな丘陵が続いていて高千穂の風景とも
よく似ていると私は思うのですが(高千穂はもっと高山地域だけど)

まさに、国の中心にいるかのような心地のする場所です。


そんな飛鳥の地を一望できる甘樫丘に住んでいた蘇我氏は、
道長ではないけれど、やはり「望月の時代」を見据えていたんだろうな。

反して、見下ろされるばかりだった天皇家はさぞ悔しい思いを
していたことでしょう。

大化の改新の足跡を感じられる場所です。


ところで、初めて甘樫丘に登って大和三山を見たとき
古代人も多くこの風景を見てきたのだろうな~と思いを馳せて
リアルに泣けたのを覚えています^p^;

ちなみにこの大和三山、男山と女山があるといわれています。
天智天皇が、弟である天武天皇と額田王との三角関係を暗示した
長歌が特に有名です。

香具山は 畝傍をおしと 耳成と相争いき
神代より かくにあるらし
古も しかにあれこそ
うつせみも つまを争うらしき


香具山は、畝傍山を愛おしく思い、耳成山と争ったそうだ。
(別説では、「畝傍山を男らしく思い、耳成山を争ったそうだ」とも)
神代から、このように男は妻を争うものだったのだから我らとて。


といった感じでしょうか。
解釈によっては、畝傍と耳成の性別がかわってしまうのですが(笑)
個人的には「畝傍を愛おしい(惜しい)と」とするほうが
言葉としては受け入れやすいのですが、耳成山の端麗な姿を見ると
こっちが女山の方が納得できる気がします。


ところで、今回大和三山は時間切れで自転車でまわれなかったため
車でぐるっと近くまで回ってみました。

香具山は道が整備されていて、山を登って降りてくることができるのですが、
耳成山は住宅地に囲まれていて、細い生活道路に周りを囲まれていて
中々近づくことができません。
それでもなんとかすぐそばまでは行けたのですが、山自体は車で踏み込むことは
できないようでした。

そして畝傍山はといえば、東は神武天皇陵と橿原神宮の森に守られるようにして
車では近づけず…ぐるりと南を通り周りを一周してみたのですが
どうも近づける気配がありません。

徒歩なら上れたりするのかな~?

そして、そんな勝手な印象でもって山神様を擬人化するならば

香具山…平坦で近づきやすい、登りやすい
    →気さくで明るい神様

畝傍山…神聖なものに囲まれていて近づけない
    →神々しくて近寄りがたい神様

耳成山…姿端麗。近くまでは寄れるけど、中々踏み込めない
    →まんまそんな女性


かなぁなんて思ったり…

実際はどうなんだろう。
三山すべて、徒歩なら上れるのかな?


ところで、次回は大津皇子が眠る二上山がターゲットです☆
でもこれもまた近寄れるんだろうか。。

そういえば、非業の死を遂げたといわれる
長屋王家が眠る生駒山も興味があります。


長くなりましたが、以上 春の飛鳥探訪記でした。
またそのうちどこかに行ったら書きますね。


ちなみに、ほぼ丸一日陽のある時間帯外にいたせいで
SPF50+++の日焼け止めをしてたのにもかかわらず
思いっきり!日焼けしてしまいました。

歩くときだけでも日傘差すべきだったんだけど、忘れちゃったんですよね。。

首や手は何度も塗りなおしてたおかげでたいしたことないのに
両頬はまっかっかにりんごほっぺです。。

ず~っと冷やしながらパックしてるんだけどまだ熱がひきません。

五月は紫外線が一番キツいってわかっているっちゃーいるけども、
一番出歩きたい季節ですよね。
薫風漂う新緑の五月に出歩かないなんてもったいない!
(そして夏はとことん引きこもる)

ということで毎年五月に盛大な日焼けをして
毎年大いに後悔するということを繰り返してます。

せめて日傘とか帽子とかすればいいんだろうけど
学習しない鳥頭なためにまた老化に近づいた、甲午の春でした。




18:22  |  史跡巡り  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)
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