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史 環 ブ ロ グ 2007年04月

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2007.04.22 (Sun)

辮髪について

辮髪1


辮髪が好きです。
昔はビジュアルに耐えられない~と思っていましたが
今は何てカッコイイんだろうと思います。惚れ惚れです。


「グリーンディスティニー」のチョウ・ユンファの辮髪も精悍で素敵ですが、
辮髪+眼鏡の組み合わせがツボみたいです。

辮髪ラフ3


清末~民国初めの、あと数年で断髪令出て断髪するかなぁっていう辺りが
断髪後の姿を想像できてときめきます。


そもそも辮髪とは…

もともと中国の北東付近の民族が風習としていた髪型で、髪の一部を剃髪し、残りの部分を編み上げたものです。

一番馴染みが深いのは、頭頂まで前髪を剃り上げ、残りの髪を編み込んだ、清朝―満州族の辮髪でしょうか。

清が入関した順治帝1644年、政権を握っていた叔父で摂政のドルゴンが「薙髪令」を出し、漢民族にもこの風習を徹底させ、その後1911年の民国建国まで、長く中国人の象徴とされました。
しかし儒教を奉じてきた漢民族の間には、“身体を傷つけることは不孝”という教えが定着していて、(だから儒者は、自殺するとしても肉体を傷つけない縊死か入水が多かったんですね)髪は長く伸ばして頭頂で束ねるという風習を持っていました。
だから抵抗もなく清に降った漢人も多くはこの令は承服できず、国以上に髪を守る抵抗が行われたといいます。

清は漢人の抵抗に「頭を残すものは髪を残さず。髪を残すものは頭を残さず」という死刑をもって臨んだため、抵抗はどうにか収束しましたが、その後も太平天国の乱など、辮髪を満州族の象徴として抵抗する動きは残り続けました。

満州族の辮髪のほか、契丹族の前髪から後ろ髪まで、目の位置まで剃り落とす辮髪や、モンゴル族の額の一部をを残して頭頂を剃り挙げて両の髪は編んで耳の下に輪を作る髪形などもあります。
ちなみに女真は女真でも、金の辮髪は後頭部の髪をほんの一握りだけ残して編みこんだもので、清のそれとでは若干違うようです。
金の頃も、北京近くに残った漢民族を登用した際、辮髪を強制したらしいですが、このときの抵抗についてはよくわかりません。

いずれにせよ、日本の月代もそうですが、どうしてあんなに手間のかかる髪形が流行したんでしょう。
特に北方民族なんて寒いのに…

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18:08  |  歴史人物

2007.04.08 (Sun)

女媧

当ブログに掲載しているイラストの著作権・所有権は史環に帰属します。
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女禍1

「天地縫繕」



2006年5月作。

女媧氏(じょかし):
中国の伝説上の神で三皇の一人。姿は人面蛇身で伏羲氏の妻(皇后)とも妹ともいわれる。
天地開闢のころ天地が崩壊し、女媧が五色の玉で天地を縫繕して亀の足を切り取って天地の四隅を支える柱としたといわれてます。

女媧は人類を作ったとされていて、女媧手づから黄土を捏ねて作られた人間と、泥水に浸した縄から滴る雫によって作られた人間によって人の優劣が生まれたといわれます。
別の説では、伏羲と女媧の兄妹は、雷公が引き起こした大洪水で人類が滅んだ際瓢箪に乗って生き延び、その後夫婦となり人の祖となったという聖書を彷彿とさせる逸話があり、出典は忘れましたがこっちの方が古かった気がします。


古今東西、人を創造し、或いは祖先となった神はつきものですが
泥から人を作ったという説は、男女の営みを暗示せず、「女」のみで
人類の祖になったという点が面白いなぁと思います。

神が姿をかりる動物は、東西 蛇や馬や鳥が多い印象がありますが、やっぱり地域や風俗によって変化があって、面白いものにイヌイット神話に熊の神がいたりエジプト神話に蛙やカバの神などがあります。
アボリジニー神話には、やっぱりカンガルーの神とかいるのかなぁ…

ちなみに、三皇の残りの一人は神農といって牛頭の農耕の神なのですが、イヌイット神話に狩猟の神がいることと合わせて、地域性を反映していて面白いですね。
00:02  |  歴史人物

2007.04.03 (Tue)

劉邦と呂雉

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劉邦と呂雉


「大漢の曉」




2006年4月作。


劉邦(りゅうほう):前247~前195。

字は季。漢(前漢:前202~後8)の高祖ですが、ホントの廟号は太祖。
鼻が高く、いわゆる“龍顔”という帝王の人相といわれ、また母・劉媼が龍と交わってできた子であるなど、容貌や出生には色々と伝説があります。

もとは任侠生活をしていた無頼漢(不良のアンちゃん)。
沛県の東の泗水の亭長を務めていましたが、任務を全うできずに逐電し、のち陳勝呉広の乱(前209~)の勃発で項羽と共に秦(前221~前206)を滅ぼします。
のち漢王を称して項羽と天下の覇権を争い敗戦を重ねるものの、垓下の戦いで勝利をおさめ漢を建国。漢400年の礎を作った人。

統一後は功臣たちを次々と粛清していくという、秀吉を思わせるエピソードなんかもあったりします。


呂雉(りょち):前241~前180。

字は娥(女+句)。山陽郡単父の人。人相見であった父・呂公が劉邦の人相を見て気に入り、嫁がせたといわれています。

楚漢戦争の際は敵方の人質になったり、夫に捨てられそうになったりと苦労を重ねますが、献身的に劉邦を支えて後の恵帝産みます。
劉邦が漢を建国し、その死後は政治の中枢を呂氏で占めて専制政治を振るった女性政治家。

劉邦の死後は皇太后として権勢を奮い、その残虐さから中国三大悪女の筆頭に数え挙げられる女性。
夫の愛妾である戚夫人の手足を切り落とし、目を抉ったのち便所に投げ捨て「人豚」と呼んだという逸話は有名で、恵帝は母の残虐ぶりを見て病を発し、死亡したといわれます。
そうした行動を罪に問われ、のちに後漢の光武帝により、皇后位と高皇后の諡号を剥奪されてます。


***


あまり深く考えず描き殴ったもので呂雉の服が色々酷いです。
“龍顔”(中国でいう、覇者の人相)と“赤”(漢は五行思想で
火徳のため、赤が王朝のイメージカラー)がテーマの一枚でした。


「人テイ」の逸話は、呂雉の悪女ぶりを示す一番有名な逸話。
この時代のトイレは猪圈といい、豚小屋の上に作られた小屋に
なってます。↓
    

チョケン




小屋の床には穴が開いていて(いわゆるボットン便所)、落ちた汚物は下の豚が食べてくれるという仕組みです。

当然 豚小屋+厠ということでダブルで臭く、服に匂いがつかないよう、全裸で用を足していたという記録も残っています。
また、小屋は高い場所に設置されており、足を滑らせて落ちて死んだ人もいるんだとか。

18:01  |  歴史人物

2007.04.01 (Sun)

改めまして

史環(あや たまき)と申します。
ここは趣味が高じて描いた歴史イラストを展示するためのブログです。

学生時代は歴史学を専攻していたのですが、
今ではもちろん研究というものとはほど遠いところにおり、
完全に趣味の世界で夢をみています。

きちんと考察されている方にしてみれば拙いものかもしれませんが、
ご指導・ご意見などいただければ幸いです。

よろしくお願いします。
17:53  |  日常とはず語り
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