QLOOKアクセス解析

史 環 ブ ロ グ 項羽と虞美人

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告

2009.05.17 (Sun)

項羽と虞美人


項羽と虞姫

垓下の死


2006年4月作。

項羽(こうう):前232~前202。

戦国期の楚の将軍家に生まれ、陳勝・呉広の乱(前209~)に呼応して決起し、西楚の覇王として劉邦らと共に秦(前221~前206)を滅ぼした。のち劉邦と天下の覇権を争うが、垓下にて大敗を帰し烏江で殺された。垓下での『四面楚歌』の故事と、『垓下歌』は有名。


虞姫

虞美人・虞姫(ぐびじん・ぐき):生年不明

虞美人(ひなげし)の名で知られる先秦期を代表する美女と唄われる女性。項羽に寵愛され戦場にも付き従うが、垓下での敗戦の折、自ら自尽したとされる。
(ただし『史記』には虞姫の生死に関する記述は見られず、垓下での自尽は後世の創作だと考えられているとか)



最近引っ越した家の近くでひなげし草をよく見ます。ポピュラーな草なんですね。
茎が細く長く、一つの茎に一輪の花。

虞姫のイメージは、ひなげしのように華奢でひかえめな女性。
ただただ儚くもろく時代に翻弄された女性だったからこそ、美談になっているんだろうと思います。





ところで、この二人について思うとき、ほとんどの人が思い浮かべるのが「四面楚歌」と並んで項羽がうたったとされる「垓下歌」だと思います。
「垓下歌」は、振り絞るような力強さがなお悲壮感を強調していて、特に最後の一行などは嗚咽が聞こえてくるようで素晴らしいと思うんですが、・・・余談として、あれには虞姫が返したとされる返歌があるといわれているのをご存じでしょうか。


すなわち、項羽の「垓下歌」、

垓下歌

に対し、虞姫はこう返歌したたとされています。

垓下歌:返歌


漢詩についてはものすごく奥が深いと思うので内容については省略しますが、これは、『史記』の項羽本紀の註に記載されているものです。
が、どうやら詩の形式を考察していくと、当時の虞姫が返歌したものとは考えにくく後世になって付け加えられた歌でありエピソードである可能性が強い といわれているようです。



今私たちが認識している歴史の感動的なエピソード多く後世に脚色されたものが少なくないし、これもその一つなんでしょう。
特に中国は歴史に対する意識が古くから高く、それを小説化・戯曲化する上でこういったアドオンは物語を楽しむ重要なエッセンスとなったでしょうし、またそれによって一般的に“歴史を愉しむ”姿勢が日常化していったんだろうな、と。

孔子や老子、もしくは同時代以降に模範とされた聖王の記録だって、当然のように脚色されている。そういったものを規範としていた古き国自体が当然の虚構を礎として成り立っていた側面があることは否めません。

中国の歴史といえばほとんどの人がやっぱり三国志だと思うけれど(私はそうでした)、三国志といっても“三国志演義”だからこそあそこまでみんなが楽しめるものになったんだと思うし、それがきっかけで歴史大好きになった人も多いだろうし、もしかしたらそんな感じで研究者になった人が世紀の大論説を打ち立てて有名になってるかもしれない。いや、実際なっていらっしゃる。

もし最初に正史の三国志を読んでいたら、ここまで歴史をおもしろいと感じることはなかっただろうし、そう考えたらこういうアドオンがあったからこその今かもしれない。

ただ、映画や小説を見れば見るほど、史実と虚構の境界線だけは知っておければそれに越したことはないのだろうと思う。できればその境界を知った上でこういう趣味的な楽しみ方ができたらなぁと思うわけです。

スポンサーサイト
17:17  |  歴史人物
 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。