レッドクリフで三国志が最近また活気づいていますね。
レッドクリフはすごく良くできたドラマでした。
エンターテイメントだと割り切って見れば面白いです。
でも配役はやっぱりこのドラマを越えていかなかったな。当然といえば当然なんですが。
私の中の彼らは、この配役さんがまさにイメージ通りなのであります。
ところで
『三国志』には美女が沢山登場します。
まずは
貂蝉。
架空の人物ですが、それでも中国四大美女に数え挙げられるほどであり、三国時代を代表する美女といえるでしょう。
そしてレッドクリフでも登場した、
小喬とその姉で孫策の妻、
大喬の姉妹。
袁紹の息子である袁煕の妻であり、官渡の戦いで破られた際、曹丕が我がものとした
甄皇后(甄氏)。
劉備が豫州の刺史だったときに娶った糟糠の妻、
甘皇后(甘夫人)。
だいたいはこのあたりが有名で、あと女性といえば、『三国志演義』で井戸に身を投げたという賢妻、
糜夫人や、レッドクリフにも出てきた孫権の妹、
孫夫人などが挙げられます。
また、吉川『三国志』では
芙蓉姫という美女が登場しますし、ちょっとマイナーなところでは呉懿の妹で劉備の夫人である
穆皇后なんていう女性もいます。
そんな中、劉備の息子、後主劉禪の皇后として、張飛の娘二人がいるのをご存じでしょうか。
張飛の長女が劉禪の敬哀皇后として、そして姉の死後、妹に当たる女性が張皇后として更に劉禪に嫁いでいます。
顔の美醜や容貌については全く記述がありませんが、一般的に言われる張飛の容貌からイメージするに、きっと眉が凛々しく目の大きな女性だったのではないかと勝手に思っています。
姉妹で皇后に迎えられたことから美女とする説があるようですが、姉妹で後宮に入る・・・なんていうのは昔からの慣例でしたので、私の中では殊更に美女化することはなく、ただ張飛ゆずりの凛々しさを持つ姉と妹 そんなイメージを持って描いた、二人の皇后です。
敬哀皇后と張皇后

敬哀(張)皇后(けいあいちょうこうごう)車騎将軍であった張飛の長女で、章武元年(221年)、劉備の即位に伴って太子劉禪の妃となり、建興元年(223年)、劉禪の即位と共に皇后となった。15年の後に死去し、南陵に葬られた。
張皇后(ちょうこうごう)姉の死後、皇后として立てられた。263年の蜀滅亡後は劉禪に付き従って洛陽に随行した。
少ない記述の中で、ぼんやりとそのイメージを考えるとき
後主劉禪の退廃を止めることができなかったであろう両皇后、
おそらく父とは違い、女性として皇后として皇帝の妻に徹した生涯だったのだろうと想像します。
張皇后について、『三国志』蜀書に亡くなる際の記述については特にありませんが、注釈にはこんな記載があります。
“洛陽に連れて行かれた後、魏は諸将の中で妻帯していない者に、蜀の女性を下賜しようとしたところ、劉禪の夫人の一人であった李昭儀は、その屈辱に耐えきれず、自殺した”と。
果たして魏が張皇后を同様に扱ったかについては分かりませんが、このたった一文の注釈によって、李昭儀との対比がコントラストを色濃くしているように感じます。
張皇后はその状況に置かれたとして、果たして同様にしただろうか、と。
劉備の子。暗愚といわれる劉禪。
彼女たちが同様に暗愚ということではないけれど、たった一代前の父の世代の激しい血が、長い戦乱の中で絶えてしまったのではないか。
そんな印象を持つ、皇后たちなのです。
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