北魏で馮皇后といえば、思い浮かぶのは
5代文成帝の馮皇后です。
彼女は後の
献文帝、そしてその後の孝文帝時代も太后として君臨し実権を握りましたが、実政策として均田制や租調制を定めた、実力ある女政治家として有名です。
そして彼女は、いわゆる「お家発展」のため、姪である姉妹を
7代孝文帝の皇后として推薦し、擁立します。
すなわち、
馮潤と
馮清という二人の女性です。
二人はそれぞれ
「幽皇后」「廃皇后」と諡(おくりな)されていますが、これは最終的に
「幽閉された皇后」と
「廃された(皇后位を剥奪された)皇后」という意味を指しています。

二人の馮皇后
姉の馮潤は温厚な妹とは違い、後宮を騒がせるスキャンダラスな女性でした。
病を得て出家している間に妹である馮清が皇后位に立てられたのを知り、後宮に戻ってからは妹を讒言で陥れ、ついには失脚させ自分が皇后位に収まります。
そして孝文帝が南征で留守の間、高菩薩を引き入れて密通し、公然と淫行に耽ると同時に、弟の
馮夙と孝文帝の妹である
彭城公主との婚姻を強引に押し進めます。
しかし反発した彭城公主が逃げ、孝文帝に子細を報告されることで馮潤の醜態が露見してしまい、罪を得て幽閉されます。
そして最後は服毒死を命じられますが応じなかったため、無理矢理押さえ込まれ、毒を飲まされるという悲壮な最期を遂げています。

馮潤
イラストは、妹を失脚させた事実を、後宮における死のイメージと掛け合わせて描きましたが、実際のところ、妹の馮清は孝文帝と姉の死後も生き、貞操を守って尼となっています。
対照的に描かれている北魏の皇后姉妹です。
【ここからはほぼ100%私見です】中国の歴史上、女性の−特に権力を持った女性−の残忍な所行は、
前漢呂后の「人豚(ジンテイ)」など、エピソードとしては数多く残っているるため、悪女というにはややインパクトが弱い馮潤。
また、僧侶との密通などはより有名さでいえば
則天武后を連想させますし、姉妹で寵を争って…というのは、前漢の趙姉妹など、数あるパターンといえます。
幽閉された皇后、といえば漢の閻皇后だったり唐の王皇后だったりを思い出しますし、毒をあおらされた・・・というのも、何となく連想させる誰かがいたような気がします(適当ですいません)
帝に詰問される際、その使いに向かって罵倒した言いぐさや、帝の詰問に対してもトコトン知らぬ存ぜぬを決め込むしたたかさ、容赦なく妹をけ落として皇后に収まったあたり、強い中国女性を思わせます。
こうしてみると、一つ一つのエピソードのどれを取っても特に目新しいものはなく、「
よくいるパターンのちょいワル皇后」といった印象の彼女なのですが、しかしその割にあっさり足下をすくわれてしまっている印象があります。
妹の馮清は篤実な性格で、孝文帝との関係も比較的よかったといわれていますが、姉馮潤の讒言によって、割とあっさりと皇后位を剥奪されているようです。
(孝文帝は北魏皇室の姓である「拓跋」を「元」姓に改めたように、
漢化政策を熱心に推し進めたことでも有名な皇帝ですが、一部では、馮清が孝文帝の漢化政策に反発的だったからとも言われているようです)
対して馮潤は、病を得て出家しましたが、後宮に戻った後も皇后でこそないにしろ孝文帝の寵愛はあつかったといいます。
また、彭城公主に醜聞を聞かされながらも、皇帝は馮潤の乱行を簡単には信じられませんでした。
南征から戻り、馮潤にことの真偽を問いただそうとしています。
幽閉され、死を賜っても、あくまで「皇后」として葬られた馮潤。
名君としても名高い皇帝といわれている、孝文帝。
きっと、激情することなく、努めて冷静に彼女に向き合おうとしたのではないでしょうか。
孝文帝の愛し方は、決して熱烈でも盲目的でもなかったかもしれませんが、そこに確かにあった皇帝の愛情に気づかないまま我儘放蕩で身を滅ぼした愚かな馮潤。
その愚かさ、そして悲しさが 一種の人間らしさを感じさせる女性です。